第100話「潜入」

 ――帝国軍・野営地・試験場

 帝国の係員達は受験者の受付をしていた。周りには屈強な戦士や魔導士達が試験をまだかまだかと待ちわびている。
ウォルゼの真似をしてフードを深々とかぶって変装したメルテルとヴァギルシアが試験場の真正面から潜入していた。彼らは他の参加者が待機する場所で帝国軍の動向を伺っていた。

「鎧も装備も皆バラバラだから難なく入れたね…ヴァギルシア」

「そうだな。後はどうやって重要な情報を探るかだが…その事は当初の計画通り、ウォルゼとウルナに任せよう。俺達は俺達でできる限りの事をしよう」

「うん…」

―― 帝国軍・野営地・飛行艇駐留場

 多数の兵士が警備する中、飛行艇への扉が自然に開く。それを見ていた兵士の1人が不思議そうに室内を確認するが何も存在しない。彼は首を傾げながら扉を閉めた。
 すると佇んだ影からウルナが現れ、ウォルゼは黙示録の獣の効果を停止させた。

「それもソウルギアかい?」

「ああ。グランゼルの刻印を応用させた技だ。音を振動させて鎧を反射する光を曲げると完全じゃないが透明に近い存在になれる」

「確かに…ぼんやり輪郭が見えていたな」

「本来は対峙した敵を撹乱する技だからな…それに意外と消耗も激しいからここぞという時にしか使わないようはしてるんだが」

「もしかして…まだ私の知らないソウルギアが存在しているのか?」

「フフフ…それはどうかな。おっと、ウルナ。あれを見てみろ」

「意地悪しないで教えてくれよ…っと、どれどれ…あれは…あの二隻のエルウェザード級の飛行艇か?」

「あそこに潜入して何か探すか。予定通り正午になったらここから速やかに撤収しよう」

「分かった…何か収穫があればいいんだが…」

 そうして彼らは警備が厳重な飛行艇に乗り込むことに決めた。

――

帝国が開催する軍事試験場、数多の受験者達の中にメルテルとヴァギルシアは紛れ込んでいた。メルテルはキョロキョロと好奇心旺盛に周りを見回していた。

「あまり不振な行動を取らない方がいいぞメルテル。バレたら終わりだ」

「大丈夫大丈夫。人間の中でも中々強そうな人達が一杯でどんな戦いや道具を使うのか気になるんだよ~」

「強そう?冗談だろ?」

メルテルはウォルゼの名前を出さないように注意しながらヴァギルシアの意を組んだ。

「いや別に心配するほどじゃないよ?あくまで人間という種族の中で平均より上って意味でね?」

黒竜はフードの中でその竜の瞳を光らせる。

「竜狩りのレオースや白壁の強者ならともかく…ここに注意するほどの戦士はさすがにいないだろう」

「だね~…目ぼしいものだけ調べてさっさと帰ろっかぁ…」

するとヴァギルシアの後ろにいた顔面に入れ墨を入れた強面の巨漢が怒りを露にしていた。

「誰が冗談ってぇ?このザモン様のことを言っているのかぁ?」

傍にいた戦士達が巨漢の名を呼んだ。

「山賊ザモン…!お尋ね者まで帝国軍に加わろうとしていたのか…!」

「あぁ~?空賊の弟が最近腑抜けているから兄として威光を示そうと思ってなぁ。手当たり次第ぶっ殺して荒稼ぎする算段よぉ~」

 彼は山賊ザモンの帯刀していた大鉈が人間の血で汚れていることを知った。

「…メルテル」

 ヴァギルシアはメルテルに質問する。

「ん?どうしたの?」

「能無しも参加できるのかこの試験とやらは」

それを聞いたザモンは額の青筋を痙攣させてはいきなり大鉈を手にして襲い掛かってきた。

「こ、この野郎ォッ~!俺を能無し呼ばわりしやがってぇッ!ぶっ殺してやるッ!!」

 振り下ろされる刃をヴァギルシアのかざした左袖に直撃する。手ごたえあり、骨まで食い込んだとザモンは嘲笑した。しかし甲高い亀裂音と共に大鉈の刃は粉々に砕け散った。黒竜の堅牢無比の甲殻に勝る武具など稀有に等しい。
 ヴァギルシアは山賊の腕を右手で引き寄せる。明らかに体格差があるのにも関わらずその剛腕は猛々しく、ザモンを宙に浮かせた。そして大地から撃ち放つように拳を握り振り上げようとする。刹那、魔力によって形成された強靭な竜の甲殻がその拳を覆い、ザモンの顎に直撃した。
 彼はそのまま凄まじい力に連れていかれるように目線を上に向け、更に地面すれすれの空中で5回転して倒れた。
 それを見たメルテルは唖然としていた

「ちょっとヴァギルシア!?何やってんの!?」

「〈俺達〉は不必要に命を奪わない。だが襲ってくるなら断固として戦う。それが自然の掟だ」

「ここ人間の世界なんですけど!?」

「心配するなよメルテル。最低限の威力だし殺していない。あの男は貧血で倒れた、いいな?」

 ヴァギルシアは拳を覆っていた魔力の甲殻を収めた。メルテルはそこら辺に落ちていた木の棒でザモンの頭を突いた。するとピクピクと身体を痙攣させていた。

「貧血じゃ無理あるでしょこれは…ってこの状況どこかで経験したような…?」

「ここから早く離れるぞ…騒ぎになりそうだ」

 予期していなかったこととはいえ少々目立ち過ぎた。周りの受験者達もどよめいている。 
すると甲冑を装着した帝国兵が多数やってきた。

「先に隠れてるんだメルテル。後で予定通りの場所で落ち合おう」ヴァギルシアはそう諭(さと)してメルテルをひとまず別の人混みへ移動させた。

(ま、まずいかも…)

メルテルに冷や汗が流れる。帝国兵士の1人が叫ぶ。

「控えよッ!〈灰の罪傑〉の御成りであるッ!」

 メルテルとヴァギルシアを除いた戦士たちはその覇気に鳥肌を立てた。しかし彼らも意表を突かれたかのようにその到来を察知していた。自身が注意すべき、竜狩りと白壁の強者たちに並ぶその脅威を。

「マジかよ…」
「灰の罪傑ッ…!?本物ッ…!?」
「王の刃…!いきなりお出ましってやつかッ…!」

 〈罪傑・灰のゼノトリアス〉

 ゼノトリアスは忍び衆のザンジを試験場の視察に訪れていた。

「カッカッカッ!ゼノ…随分と出世したじゃねぇか。鼻が高いぜ」

 「…誇張の必要ないとは思うが、ある種の畏怖も組織の統制には必要だ」

「せっかくグスタニカ旅団がサンニバルをかき乱してくれたんだ。お前さんの言った通り優秀な戦士だけもらって帰ろうぜ」

大衆が注目する中、ゼノトリアスがザモンの存在に気付いた。彼がザモンの倒れた位置に近づく度に戦士たちは後ずさりをする。
「…」そして彼は立ち止まり、右横に真っ直ぐ人差し指を指した。その指先の進行方向にはヴァギルシアが腕を組んで仁王立ちをしていた。
ゼノトリアスは彼のいる方向を向いて褒め称えた。

「お前…お前だ。フードの男、この俗物はお前が黙らせたのか?見事だ」

「その男は貧血で倒れたみたいだぞ?」

「…貧血だと?」

ゼノトリアスはザモンを確認する。すると今度は臀部(でんぶ)を痙攣していた。そして足でその顔面を傾けて確認し、予想は確信に変わった。ザンジも即座にその事実を理解した。

「いいや、これは打撃による失神だ。しかも肉体に損害を与えずに最小の力動のみで脳に衝撃を与えている。これほど洗練された技…戦技でもそうそう実現できまい」

ゼノトリアスはヴァギルシアの前に立ち質問する。

「気に入った。名を聞いておこう」

「…聞いて贔屓でもするつもりか?」

「我が帝国にそんな甘さはない」

「だったら正当な試験で実力を測るべきだ。それが本来行うべき対応だろう?」

 ヴァギルシアとゼノトリアスが見つめ合う。それはお互いの力量を値踏みする達人同士の会合であった。異様な空気が両者の間に流れる。
 すると先にゼノトリアスが肩を落とし息を吹いた。

 「確かに…な。お前の言う通りだフードの男よ。我々が視察に来たのもあくまで状況を知る為のものだ。無事に試験を突破したらまた名を聞くことにしよう」

 灰の罪傑は振り返り歩き出す。メルテルは事が無事に済んだようで思わずほっとした。
ヴァギルシアも内心安堵していた。

(危なかった…俺達は今正体を知られるわけにはいかない…ウォルゼとウルナの足を引っ張る訳にはいかないからな…にしてもあれほどの〈強者〉がいるとは。人間も中々どうして…)

 彼は灰のゼノトリアスの覇気と微細な動きから実力を知っていた。純粋な剣技なら恐らくあのウォルゼと同等だろう。そんな戦士、今まで出会ったことがない。
「だが」ゼノトリアスが急に立ち止まった。

「俺が測っても何も問題あるまい?」

「ッ!!」

 咄嗟に身体が動いてしまった。ゼノトリアスが鞘に収まった絶一文字で突きを繰り出し、
ヴァギルシアは拳撃を放ったのだ。両者の一撃は眼前で止まり猛風となって吹き荒れた。そして彼らは即座に間合いを取る。

「やはり…俺の目に狂いはなかった。近衛騎士団(グラディアン)を超える…いや罪傑に入ってもおかしくない実力者だ」

 隠れて様子を伺っていたメルテルはあたふたしていた。

(あわわわわ…!あの風変わりな鎧を着た剣士は…!灰の罪傑ゼノトリアス…!)

するとゼノトリアスとザンジの背後から誰かが近付いてくることを知った。だがゼノトリアスはヴァギルシアに話し続ける。

「世界は魔物化の脅威に晒されている。これから起こる大戦の為にも人類は備えなければならない。その為にも…どうだ?我が帝国の軍門に下らないか?お前ならそれなり地位もすぐに用意できる」

 その時、ヴァギルシアは情報を掴むチャンスだと考えた。素性が知れてない状態での敵幹部との会話…何か自分達に有利な事が知れるかもしれない。

「帝王は魔物の力を利用していると聞いたが?到底信用ならないな」

「……致し方のないことだ。陛下はこの世界の真理を把握しておられる。毒食らうなら皿まで。魔物の発生が諸悪の根源なら利用しない手はない」

(諸悪の根源?魔物の王ではなく?)

 ヴァギルシアは機密に触れている気がして怪しまれないよう慎重に質問を選ぶことにした。

「お前の言う〈大戦〉とやらは…各地で噂になっている〈魔物の王〉との戦いのことか?」

 多くの戦士達がその名を聞いた瞬間、動揺した。

「それはあくまで敵対する勢力の1つに他ならない。これから想像もつかない脅威が我々人類に牙を剝くだろう」

(敵は…奴らだけじゃない?ウォルゼの事ではないし…何か別の存在がいるのか?もっと危険な…〈何か〉が。だが俺が真に知りたいことは…)

「アヴァンロードは〈魔物殺しのウォルゼ〉も狙っているそうだな。彼が何らかの理由で現代に甦ったとか」

「…その通りだ」

「現代でも名だたる戦士達がいる中、どうしてアヴァンロードは魔物殺しに執着しているんだ?」

「詳しいな。しかし、どうしてお前がそんなことを気にする?」

「そりゃだってお前…魔物殺しは俺の知る中で最も強い戦士だからだよ。いざ戦うとなれば魔物の王を超えるだろうな。戦いを挑めば無事で済むはずがない。そんなリスクを払ってでも力を手に入れたいと思う理由が分からないぜ」

 ヴァギルシアの質問には友としてウォルゼを心配している気持ちが含まれていた。対するゼノトリアスは刀を握ったままだった。

「…先ほど俺は〈想像もつかない脅威が襲ってくる〉と言ったな」

「ああ」ヴァギルシアはその言葉に頷いた。

「魔物化の原因は厳密に言えば魔物の王にあるわけではない…原初にいたことに変わりはないがな」

「……!?」

 一方、ウォルゼとウルナは飛行艇に潜入していた。空賊の要塞ベオ・リオーグにいた時もそうだが、目撃した帝国の船艇の装備は敵ながら見事なものだった。

(魔物の力を持つ帝王…あの死闘を繰り広げたから分かるが決して暴虐無知な人間ではない。紛うことなき資質を持っている。だが…何故だ?何故そのような男が魔物の力を利用している?)

アヴァンロード…

深紅の甲冑にその身を包んだ絶対の帝王。剣を交えたからこそ、あの決闘があったからこそ理解できた。それは戦場を生き抜いてきた故に分かる共通意識のようなものだった。
ファランゼアにて狂信の魔物と対峙した時、ウォルゼはレブルスに魔物とは即ち“負の心の現れ”だと説明した。
彼の知る限り、悪逆と残虐性を兼ね備えた化け物達が出現する原因はまさに意識が持つ醜さそのものだった。そして……理解していた。この手で殺めた数々の魔物達は決して外部的な要因によって引き起こされたものではないことを。

(分からない……エルディモーグが魔物発生の原因でないのなら何故奴らは現れる…?)

六神は明らかに魔物の存在と過去の歴史を明らかに隠したがっている。だが魔物が無垢なる命を惨殺するというのなら彼は黙っている訳にはいかなかった。〈勇者〉と謳われ世界を守護した家族と仲間達、その最後の1人になったとしても戦ってみせる。

その答えを神が握っているというのなら。

ウォルゼは剣の柄の先端を強く握った。

(俺達の武装で神をも越えてみせよう。騎士としての誇り、かつて追い求めた世界の為に、そして…)

 ウォルゼはウルナを見る。

(俺の主が前を向いて歩いてゆける世界にする為に)

するとウォルゼ達は誰もいない飛行艇の最奥部に辿りつき、そこに例の物体が存在していることに気付いた。

「なんだ…これは…?」

巨大な黄金の立方体が異様な雰囲気を醸(かも)し出していた。ウォルゼはすぐにそれがヘルベルムスに関係するものだと察し慎重に観察した。
罠や抑止するような器具は見つからず、魔導の気配もない。彼は危険がないことを確認し、ゆっくりとその指先で立方体に触れようとする。
その時、彼の脳内に語りかけるように声が響いた。

 ―違う。お前も違う。

「!」

 強力な電撃がウォルゼの手を弾き飛ばした。

「ウォルゼ!大丈夫か!?」

「あぁ…少々電撃を受けただけだ」

 ウォルゼの手からは煙が立ち昇っていたが無傷だった。

「本当になんなんだこの物体は?兵器の類か?」

「いや…どうやら生物らしい。意志がある」

「まさか!どう見ても金属じゃないか!」

「鉱物で生命を持つ種族はこの世界でも実在する。俺の水色の仲間がそうだ」

「これがゴーレムだというのか…?」

「理由は分からないが眠っている。まるで胎児のように…〈何か〉を待っている」

 その時、隣室から話し声が聞こえてきた。

「……よって……発見……に至りました」

「最新式の…型…武装は…滞りなく…配備」

 ウォルゼとウルナは気配を殺して壁に聞き耳を立てる。そしてウルナはウォルゼに能力を活かして偵察する事を目で伝えると、彼は頷いた。
 彼女の身体は影と化し、船内の天井に張り巡らされた通風孔から隣室への潜入を成功させた。
 目の前に広がっていた光景は軍服を着た下士官(かしかん)が水晶体の置物から出現する上官の幻影に話し掛けている様子だった。

(魔具の類…別に珍しくないが…何か報告しているようだな)

「以上で軍備についての報告は終了です」

「『それで例のものは?』」

「〈ヘルベルムス〉に輸送予定です」

(!…帝国は既にヘルベルムスを見つけたというのか)

 上官が水晶玉を通して下士官に話し掛ける。

「『ヘルベルムスは時空の狭間に存在する秘境だということは既に通達がきていると思うが…例の金色の立方体は黄金都市の秘密を解く鍵になりかねん。厳重かつ慎重に〈帝王の元〉へと輸送するように』」

 その時ウルナは机上に地図が置かれ、この飛行艇の空路が記入されていることに気付いた。

(この飛行艇の行先は…ゴビナ大砂漠…方角は南西…ウェングリド納骨院…最終目的地…〈ヘルベルムスへの転送門〉…決まったな)

 ウルナはウォルゼの元へと戻り事の次第を告げた。

「思わぬ収穫だったなウォルゼ!こんな簡単に黄金都市への経路を知る事ができるなんて!」

「ウルナの能力があったからこそだ。恩に着る」

「クハハハ!もっと褒めていいぞ!」

「一旦ここから引いてメルテルとヴァギルシアにも教えてやろう。あいつらの退屈していることだろう」

「そうだな、早く態勢を立て直そう」

 移動する彼ら。「…」ウルナは静かにウォルゼの背中を見つめていた。

――

「魔物の王が魔物化の原因じゃない?一体どういうことなんだよ?」

 ヴァギルシアは足に力を入れ構えを取る。ゼノトリアスから発せられる闘気が肌に身体に微弱な振動を響かせる。

―この人間。強い。計り知れないほどに。

「……我々の時代に伝わる〈原初の物語〉、〈光〉と〈闇〉の物語を知っているか?」

「俺は知っているが……」

「博識だな。ならもう1つ良いことを教えてやろう…あの物語は元々、構成を簡易化して史実をはぐらかしたものだ。敢えて誰も見向きもしないような、稚拙な御伽噺に作り変え消そうとした…正しく表現するならば。〈神々の血族と魔の戦争〉だ」

 次にゼノトリアスの言った言葉にヴァギルシアとメルテルは更に戦慄する。しかし
灰の罪傑は淡々と話し続ける。

「我々人類は神々と魔物の戦いを勃発する度に歴史を改変されるほどの被害を被っている。現状で把握できているのは強大な力を持つ存在が残された伝説の中に潜んでいるという事実だけだ。いともたやすく殺されてきたという許容し難い真実と共に…な」

(ウォルゼから六神以外にも魔物化の原因になり得る存在がいるとは聞いていたが…まさか…いるのか?エルディモーグに並ぶような魔の存在が?)

「だがその改変もあの男が現れた時に止んだ…魔物を狩る者、そう、〈魔物殺し〉がやってきたと同時に」

(ウォルゼは…絶対にそういう男じゃない。たとえ神が相手でも虐殺や蹂躙に肩入れするなんてあり得ない。でもどういうことなんだ?神々も魔物の王も…なんでウォルゼに関係している?)

「我々はこう考えている。魔物殺しが神々の干渉を遮る〈抑止力〉になったとな」

「何故断言できる?」

「帝国が調査した末に、魔物殺しの痕跡を五大文明の長たちが隠していた事実が発覚したからだ。エルフの王、フランディス。ドワーフの王、ヴァルタ。竜王グレオニース。天使族長ウラシエル。そして…ヴァンパイアの女王、エドナ・ブラドナイト一世。彼らはウォストリアの騎士王、ウルガリオスと密約を交わして魔物殺しの遺体を隠した。もっとも…その所有権はどうやらヴァンパイアが持つことになったらしいがな」

 彼は続けてヴァギルシアに告げる。

「ここまで話してやったのだ。そのフードを外して何者か確認させてもらうか。お前が魔物側の存在だったらこちらとしても不都合だ」

 ゼノトリアスが再び接近してくる。

(幕の引き時…だな)

 ヴァギルシアはその剛脚にありったけの力を込め地盤に亀裂がはしる。もはやこの緊縛しきった状況を打破するためには遥か雲の上まで跳躍して竜に変身して逃げるしかない。

(…ウルナに確認する必要があるな。でも気が引けるな…せっかく知り合えたのに)

緊張が張り詰めている状況の中でメルテルはゼノトリアスの実力を理解していた。

(とんでもなく強い…!噂には聞いていたけどウォルゼ以外にここまでの域に達している人間がいるなんて…!信じられない…!)

所作、呼吸、筋力などあらゆる肉体的な情報からも灰の罪傑の強さが伺える。現に彼は魔将(ディモンゲニカ)達を抑え、純粋な剣技のみであの魔物の王でさえ相手している。それこそが彼が特異点である理由だった。
ヴァギルシアもメルテル同様、その事実を理解して静かに臨戦体勢に入ろうとしていた。

「名乗れ実力者。俺はお前の正体が気になっている」

「……断ると言ったら?」

「ならばそのフードで隠された素性を俺の手で暴くまでのことだ」

ゼノトリアスは間合いを詰める為に踏み込む。彼がその手に握った絶一文字は燃えておらず、真価を発揮していなかった。
だが灰の罪傑は手加減する気など毛頭なかった。買い被りだったら斬り捨てる、そのつもりだった。
放たれる一閃、目視不可能の斬撃を迎え打つはヴァギルシアの右袖だった。メルテルが緊迫した顔で見つめていた瞬間、凄まじい風が巻き起こる。

「…この絶一文字。宙を舞う生糸が触れただけでも絶ち斬る代物だが…」

ゼノトリアスは感心していた。そして彼は続けて言う。

「俺の刀を止めるか。やはり俺の目には狂いはなかった…しかしだ、〈それ〉はどう説明するつもりだ?」

武士(もののふ)の前で衣(ころも)が破けて空中にその破片が舞っている。絶一文字の刃を超硬度を誇る漆黒の甲殻が受け止めていた。跳ね返した?否、違う。

(いや違う。絶一文字がつけた切れ込みから僅かに横から力を加えて〈力の流れ〉を変えた。立派な武だ)

「その腕…お前は竜だったか…面白い。昔聞いたことがある。人外の多くは魔力の変形に長け、人間に化ける事ができると。にしてもだ。お前が今まさにやった芸当は竜でも到底できるものじゃない。師がいたな?」

 灰の罪傑がヴァギルシアの正体に気付き始めた。

(黒い竜…まさかな)

メルテルがその手に持っていたイドゥルシアの斧槍を強く握り締め、人混みからヴァギルシアを見つめる。

加勢した方がいい?ヴァギルシア?

すると彼はアイコンタクトで小さな巨人に伝える。

何もするな。この男は危険すぎる。

「なぁ…灰の罪傑。俺にこの技を教えた男が気になるかい?」

「…!」

ヴァギルシアはゼノトリアスに誇らしそうに話し始めた。

「かつて世界が怪物で埋め尽くされそうになった時…その殺戮に立ち向かった騎士がいた。遠い…本当に遠い昔の話しさ」

ゼノトリアスは今すぐこの男を捕縛するべきだと強襲を仕掛けた。だが黒竜はまたしても腕で防御する。

「その男は地位を名誉も求めていなかった。呪われた運命の中でただ戦い続けた。ただ瀆(けが)されていく命を守る為に…どれだけ耐え難い傷と痛みを負っても…剣を握り続けたんだ。だからこそ断言できるよ」

 ヴァギルシアはそっと、暖かい声で告げた。

「ウォルゼは絶対に戦争を許さない。それがたとえどれだけ強大な相手だろうと」

 ゼノトリアスはその言葉になにか矛盾のようなものを感じた。彼にとって戦いとは現実的な事実しかなく、理想論が通用するような世界ではなかったからだ。

「…綺麗事で片付くほどこの世界は甘くない」

彼はヴァギルシアの一瞬をつき、左肩の上部を斬り裂いた。その傷口から血飛沫が噴き出す。

「ザンジ」

「おうよ」

忍衆ザンジがヴァギルシアの背後を取り姿勢を低くして地面を叩いた。いつの間にか地面に仕込まれた鋼線が彼の胴や足に巻き付き、見事捕縛に成功した。

「シルネーゼの糸には及ばないがウィザルコンを使用した特殊鋼線だ。竜でも引き千切ることはできないぞ…〈ヴァギルシア〉」

「ハハハ。ここまでしでかしたらさすがにバレるよなぁ」

「これが現実というものだ。理想や大義で強くなれれば誰も苦労はしない。魔物殺しに憧れる気持ちは分からなくもないが、その思想はいつかあらゆるものに陶酔を引き起こさせる。慢心や自惚れ、自己顕示欲、故に不完全な強さとして終わるだろう」

「まぁお前が言っていることは正しいと思うぜ。実際一緒にいないと分からないことの方が多いからな…偽物も多いし」

「やはり…お前に技を教えたのは…」

「でも相棒と魔物の戦いを見てみたらお前もきっと分かるよ。相棒は世界が残酷である反面、美しいことも知っている。それを俺に教えてくれた唯一の人間が彼なんだ」

「…お前はさっき〈偽物も多い〉と言ったな。見てくれだけの間違った正義などどこにでも存在するぞ黒竜。お前にそれを信じるだけの確証はあるのか?」

「少なくとも相棒は現実から目を背けた事はない。彼の背負った運命と生き様がそれを証明している。…綺麗に見えて当然なんだ。本質が美しいんだから。だから俺は最後まで信じるよ」

「…もう問答は無用だな。この件については実際立ち会わなければ分かるまい。お前を帝都に連行する」

ゼノトリアスが再び接近しようとした時、彼はヴァギルシアの口元から火の粉が零れ出し始めている事に気付いた。

「理想なんかじゃない。そう…あれは理想でも大義でもないんだ。〈欲望を超えた愛〉、それこそがウォルゼの強さだよ灰の罪傑」

 すると黒竜の口から地面に向けて爆炎の一撃が放たれる。

〈黒竜の暁撃〉(シン・トワイライト・ウルガン)

 灼熱と爆風を纏う竜の炎は敵を殺すことを目的とせず、ただ自らを遥か天空へと高く打ち上げた。参加者が爆風でかき乱される中、ゼノトリアスはザンジは回避の為に間合いを取っていた。
 彼らが空を見上げると炎の中から漆黒の古竜が現れ悠々と飛んでいってしまった。ザンジは目を細めてあっという間に点になり消えていくヴァギルシアを見つめていた。

「あれが竜かぁ…俺らが見てきた〈龍〉とはまた別の生物だな。世界は広いねぇ」

「ウィザルコンを竜炎で溶かし撤退に応用するとは…考えたな、フン…」

「…今の一撃に殺意がこもっていなかった事がそんなに気に食わなかったのか?」

「気にしてなどいない。魔物殺しの仲間に稚拙な印象を覚えただけだ。ただ…いつか合間見えたい相手に失望したくないというのも事実だがな」

「それだけ懐いてるんじゃねぇの?なにせ人外だし。動物的な所もあるだろ」

「…そうだな」

 ゼノトリアスは絶一文字を鞘に収めた。刹那、彼は過去を振り返る。足元から地面をほぼ覆い尽くした屍と血の海が広がり、目の前には粛清の名の元に六神に惨殺されたかつての戦友が朽ち果てていた。

 今でも思い出す。姿さえ確認できなかった己の未熟さ故の羞恥心を。

 何も守れなかった。思い出も、人も、何もかもを瞬く間に無へと流された。戦う意味を失ったからこそ、だからこそ強さをただ追い求めた。

 その本質が〈欲望を超えた愛〉だと?なら体感させてもらおう。俺はいつか必ずお前の前に立つ。

 ゼノトリアスは近くにいた部下の兵士達に命令を下す。

「今の一件は事故として処理するように。逃亡した竜は現在駐留している第二飛行魔導師団の少数精鋭のみで捜索を開始、試験は通常通り続行する」

「ハッ!了解致しました!陛下には…」

「陛下には俺から直接報告する。今は戦力の確保だけを考えるように」

 ヴァギルシアは試験会場から離れた雑木林に身を隠していた。彼は木にもたれかかりながら座っていた。

「イタタタ…!あの剣士強すぎだろ…!」

「それはウォルゼよりもかい?」

 木の後ろからメルテルが歩いてきた。その質問にヴァギルシアは唸り、悩んでいるようだった。

「俺はウォルゼが勝つ……と言いたいが正直言って分からない。灰の罪傑ゼノトリアス…メルテルもあれを見て分かっただろう?あれは俺達でも勝てるかは分からないほど強い剣士だ」

「〈サムライ〉、遥か東の地にはそう呼ばれる戦士達がいたんだって。そして一目で見て分かったよ。彼はウォルゼと全く同じ系統の人間だね」

「人は本来脆い種族のはずなのに…ああいう規格外の奴がやってくるから分からないぜ。また機会があれば戦ってみたいぜ」

 メルテルはヴァギルシアが無関係な参加者を巻き込まないように行動していたことを既に悟っていた。

「でも騒ぎ過ぎでーす」

 そう言ってメルテルは小瓶を取り出して彼の肩の傷口に塗った。それはヘルダールで精製したあの軟膏であり、それが沁みてヴァギルシアは思わず声をあげた。

「危うくバレるところだったじゃん。計画がおじゃんになったらそれこそウォルゼとウルナにも危険が及ぶんだよ?」

「今回ばかりは許してくれよ…状況が状況だし。あーあ、俺もウルナやフィオみたいに器用に自分の能力を活かせたらなぁ…」

「竜(ドラゴン)じゃさすがに無理あるでしょ~」

「それを言ったら巨人(ゴーレム)もだろ…ウルナから聞いたぜ?ファランゼアで異教徒が甦らせたハイドラを倒したんだってな?」

「事実ですが僕の錬昌(アルカミヤ)は自在に応用できるから彼女達と同じ分類でーす」

「はいはい…ついでにその多頭獣はどれくらい大きかったんだ?」

「巨人化した僕と同じくらいだったね」

 それを聞いたヴァギルシアはケタケタ笑っていた。

「さぞかし静かな戦いだったろうな」

「ムキー!やっぱり馬鹿にしてるじゃないかー!」

 彼らはしばらく無言だった。

「…ねぇヴァギルシア」

「…なんだ?」

「…もし…もしウルナが…僕たちを裏ぎっ…」

「それ以上言うな。今はフィオがいない分、俺がなんとかするよ。」

「…ううん。僕もちゃんと向き合うよ」

 メルテルは不安で仕方がなかった。長年の関係からヴァギルシアと同様にウォルゼの人間性と本質は理解できていたものの、ウルナについてはそうはいかなかった。
  
 なぜならヴァンパイア族とは四英雄が戦っていた時代、敵対関係だったからだ。

 理由は2つ、当時の吸血鬼から見て人間という種族は戦争や悪政ばかり行う下等な存在として認識されていたからだ。そしてなによりその身体に流れる血は捕食対象だった。 
 人間滅ぼし最後の勇者を手に入れたい魔物の王と下等な存在を家畜化したい吸血鬼達との利害は一致し同盟を結んでいた。この敵対関係はウォルゼがエドナに出会うまで続いていた。
 そもそも五大種族はウォストリア以外の国や人間を敬遠する傾向があった。人間は狡猾で、自分達より悪意に満ちていることを理解していたからだ。
メルテルは不安そうな顔をしており、ヴァギルシアの目は座っていた。

「ウルナがウォルゼと旅してきたなら…きっと彼女もウォルゼを信頼してきたはずだ。それにまずは確認しない事には何も変わらない。今は合流地点で先に待っていることにしよう」

「…う、うん」

 ヴァギルシアにとって疑心暗鬼に陥ってしまうことこそが今の敵だった。仲違いこそが魔物の王の昔からの狙いだった。この状態こそ心理戦が得意な奴が望んでいるのかもしれない。整った青年の笑顔にいつもからかっているかのようなあの眼、ウォルゼの信念を奴が否定してきたことを思い出す度に怒りで拳が割れそうなくらいに力が入ってしまう。
 彼はメルテルの前を進んでいた為、メルテル自身は幸運にもその顔を見ることはなかった。

(神も魔も関係ない)

 その顔は笑っているようだったがそうではなかった。凶暴極まりない危険な生物が闘争心を剥き出しにするように、竜特有の鋭い牙を立てていたのだ。その表情は大変恐ろしいものだった。

(俺が認めた唯一の戦士と仲間を傷つけてみろ。ズタズタに引き裂いて燃やし尽くしてやる)

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