ラスカーラ達はひたすら遠くへ移動した。
「ハァハァッ…!」
「ゼェ…ゼェ…!」
ファラス族は全力で飛行した為かなり体力を消耗していた。だがラスカーラは羽ペンと羊皮紙を取り出し、地面に伏せて手紙を書き始めた。インクのないはずの羽ペンは魔具であり、魔力の力で黒い文字を綴り始める。
「我々には戦う力がいるッ…!如何なる脅威にも打ち勝つ力がッ…!」
彼は手紙を完成するとそれを素早く丸め懐に納めた。そして他の戦士の1人にリウォンの腕輪を託した。
「これを持っていてくれ…!万が一の時にも飛べるお前なら何とかなるはずだ…!」
「…!分かりましたッ!」
「リウォンとの約束は必ず果たすッ!我々はこれより人間の世界に身を潜めるッ!そしてこの手で必ず見つけるのだ…〈世界を救う英雄達〉をッ!!」
他のファラス族が頷く。その眼には希望と闘志の光で満ちていた。しかしその前向きな姿勢も背後から忍び寄る強大な存在に打ち消されそうになった。
「…世界を救う英雄達?ウォルゼに纏わりつく蔦のような奴らのこと?」
ラスカーラは恐怖で汗を流していたが、負けずにその存在を睨みつけた。
「きたかッ…!!〈魔物の王〉ッ!!」
なんとそこのいたのは絶大な力を持つ魔物の王、エルディモーグが立っていた。その傍にはあのヴァルゼノが護衛している。
「…分からないなぁ。君達〈獣人族〉も身勝手な人間の業に付き合わせられた、いわば被害者じゃないか?なぜそこまでこの世界を守ろうとするの?そんな価値もないのにさ」
「お前は何も分かっていない。お前の捉えている価値観は心を腐らせる、影という名の絶望だ。私たちのいるこの世界を創っているわけではない…闇に還るがいい魔物の王よッ!!この世界には影に立ち向かう者がいるッ!断言しようッ!お前が思うより世界はずっと素晴らしいッ!!」
その時、ラスカーラの目の前で気絶してしまうかのような、強力な大衝撃が発生した。
気が付くと、エルディモーグは彼らの後ろに既に立っていた。
そしてニコニコ笑いながらラスカーラに〈それ〉を見せる。彼の血濡れた左手は
リウォンの腕輪が掴まれていた。
「馬鹿なッ…!」
「ついでに〈これ〉ももらっておいたよ」
エルディモーグが右手に握ったものもの、それは腕輪を渡したファラス族の心臓だった。
ラスカーラの隣にいたファラス族は己の心臓を抉られたことにすら気付いていなく、気付いた瞬間には吐血して倒れ、絶命した。
エルディモーグはファラス族の獣人達をさらにせせら笑う。
「これでも世界は素晴らしいと思える?」
彼は心臓を握った手から滴り落ちる深紅の血を恍惚とした表情で舐めた。ラスカーラとその仲間の怒りは頂点に達した。
一斉に襲い掛かる鳥の獣人達。彼らはその手に持つ剣や槍で魔物の王に立ち向かう。しかしエルディモーグは退屈そうに欠伸をしながら魔将に殲滅を命じる。
「ヴァルゼノ、全員皆殺しね」
「仰せのままに」
終焉の魔物は彼を守るように全面に立つ。そしてまるで演武を始まるように両手を華麗に構えた。
「奏でろ。貴公達の終わりを」
鋭い高音が鳴り響き、その両腕からあの光の刃が出現する。
「〈終焉の祈り〉(カリスマン)」
ファラス族はすかさず防御するが音がそうさせなかった。斬られたとい錯覚がその肉体を切り裂き、盾や武器という物質すら粉々に破壊していく。
「散開して攻撃範囲から逃れろッ!」
獣人達はその翼を広げ、地上から離れていく。
「…逃げられると思っているのか?一匹たりとも逃さん」
ヴァルゼノの背中から6つの砲門が出現する。そこから破滅の光がうねり始め、迸(ほとばし)る。絶大な力を持つ熱線と化して天へと駆け抜ける。
〈崩壊閃〉(イェスキルプス)
彼らの選択は虚しくも全滅をいう結果を招いた。焼死体となったファラス族は地面に激突していく。
砂地で〈崩壊閃〉(イェスキルプス)を放ったことで大量の白い砂煙が発生していた。その時のヴァルゼノの姿は煙に佇み、その漆黒の仮面の中から朽ちた死体を見つめていた。無情の殺戮者、まさに終わりを告げる者だった。
その時だった。白煙を好機と捉え、ラスカーラはエルディモーグに接近し、決死の身上で飛び掛かった。
「…?なにがしたいの?」
エルディモーグはその尾でラスカーラの胴体を貫いた。しかし彼は怒号をあげ、自ら胴に突き刺さった尾を引き入れ、腰からあるものを素早く引き抜いた。老いた獣人族の僧は最後の力を振り絞り、なんとあの魔物の王の胸に短剣を突き刺した。
ラスカーラの口から大量の血液が溢れ出る。
「ヘルベルムスの秘宝ッ…!〈絶死の短剣〉(シャフトディエム)だッ…!私と一緒にあの世に旅立ってもらおうかッ…!!」
ラスカーラは途切れそうになる意識を必死に保ちながらエルディモーグの死を見届けようとした。〈絶死の短剣〉(シャフトディエム)はそこらの魔具と比較にならないほど強力な武器だ。その刀身に強力な呪いと毒が幾重にも編み込まれており、軽く斬っただけでも確実に危険な代物。獣人達はそのあまりに危険な短剣を隠す為に、ラスカーラに預けていたのだ。
「…へぇ。〈絶死の短剣〉(シャフトディエム)かぁ…中々、懐かしいものを持ちだしてきたね」
エルディモーグは溜息をついては短剣を引き抜く様子もなく、驚愕の真実を告げる。
「〈魔物の毒〉が僕に効くとでも思っているの?そんな僅かな〈希望〉にすがるなんて本当にめでたい頭をしているんだねー」
「なん…だと…」
「〈絶死の短剣〉(シャフトディエム)は元々ヘルベルムスの民が六神の命令に反して造った遺物…残念だったね。君は人間の浅ましさによって敗北するんだ」
エルディモーグはその禍々しい魔力によってラスカーラを魔物に作り替えていく。
「グゥッ!!…ガアアッ!!」
骨格は歪み、体中を無数の蛆が食い破るような激痛が襲い掛かる。
「アッハッハッ!痛いでしょ?全部引き出してあげるよ、君の中にある〈本質〉をね」
彼は必死に魔物の変化に抗うが…止まらない。
(このままではッ…希望が潰えてしまうッ…!こうなったらッ…!)
ラスカーラの顔面の半分は鳥の骸の化け物と化していた。しかし彼は掠れた声で絶望に立ち向かおうとしていた。
「ハァハァ…友よ…行け。私の屍を越え…遠く遠く…そして…魔物の王よ…私は…お前の思い通りになんてなるつもりはない…恐れよ…〈彼〉がやってくる。貴様達を殺す者、世界を救うもの」
そして彼は最後の台詞を吐き捨てる。
「魔物殺しがやって来る」
ラスカーラはエルディモーグから短剣を引き抜き、自分の首を引き裂いた。彼は完全な魔物になる前に、ファラス族としての誇りを貫いた。
リウォン、ギルファ…後は任せました。
エルディモーグの尾に貫かれたまま、ラスカーラは眠るように息絶えていた。だが魔物の王は無表情だった。彼はラスカーラの死体をその尾で投げ捨てるとウェングリド納骨院へ向かっていった。
「…ヴァルゼノ。今すぐディモグルを動かしてこの納骨院を制圧して、他の獣人族がいたら全部殺して」
「既に制圧は完了しました。近隣の村や小国も全てジャクスヘイゼンが喰らいました」
「ふーん…怒ってるんだ?珍しいね」
彼らが納骨院の中に入ると、既にディモグルが男も女も子供も関係なくその死肉を貪っている。
「はい。ウェルザー・レパニールを覚えていますでしょうか?どうやらジャクスヘイゼンは魔物殺しとの接触者に出会ったことで苛立っているようです。表の態度にはあまり出ておりませんが…」
「プークスクスッ!やきもち焼いているんだ!かわいい~!」
「私から身勝手な行動をしないよう忠告しておきます。他の獣人族は如何いたしましょうか?服従させるという手もありますが」
「どうせ人間側についていた種族でしょ?いつ裏切られるか分かったもんじゃないし皆殺しにしておこうよ」
「かしこまりました」
竜の墓場に到着すると、魑魅魍魎、様々な魔物とディモグルが頭を垂れて己が主人を迎い入れた。エルディモーグとヴァルゼノは〈門〉が存在していた場所へと歩んでいく。その歩みにジャクスヘイゼンとカナンも加わった。
エルディモーグは自分の肩に乗ってきたハギド・ザメドを可愛がった。
ああもうどれくらい殺したのだろうか?憎しみの果て、屍を積み上げてきた。命を奪う事がそんなに避難されるべきことなのか?
目を背けるな。人間(お前ら)も奪い尽くしてきたじゃないか。
大義と言い張り、喰らい、引き裂き、弱者から簒奪してきた存在達よ。
だけど…気にすることはないよ。それこそが命の性、僕たちの宿命さ。
「始めよっか。古より始まりし僕達と最後の勇者の物語を」
闇を抱える魔将と王、各々は存在意義と目的を携え、追う。たとえ悪魔と邪悪と罵れられても手に入れなければならない…神を超える力〈時の魔導〉を。
待っていろ。神と言えど必ず殺す。代償は払ってもらう。
彼らは門をくぐり古代文明の作り出した時空の新世界へと入り込んだ。
――
蠅の耳障りな羽の振動が空気を震わせる。かの羽虫はラスカーラの死体に卵を産み付けようと飛来してきたのだ。蠅は目を閉じる彼の腕の甲に留まる。少々肉は少ないが、これなら我が子も育つだろう。
蠅が卵を産み付けようとすると、ラスカーラの残した〈希望〉がその小さな体を啄(ついば)んだ。
昆虫の複眼に映ったもの、それは白い〈伝書鳥〉だった。その足首に付けられた金属製の小筒の中にはラスカーラの手紙が巻かれていた。
ラスカーラはこの手紙を次に繋ぐために演技していた。相手は終焉の魔物、ましてや魔物の王に勝てるわけがない。だからこそ一矢報いるべくこの〈伝書鳥〉を用意していた。手紙の内容はライカン族に魔物殺しに納骨院の秘密とゴビナ大砂漠に連れて来ることを求める内容が書き記されている。〈絶死の短剣〉(シャフトディエム)は伝書鳥を安全を確保するための前座に過ぎなかった。現に魔物の王は手を下すまでもないとラスカーラの死体を投げ捨てている。
魔物の王よ。死ぬ前に…お前は私を非力な存在だと思うだろう。だがそれは思い込みというものだ。
〈希望〉はまだ死んでいない。
伝書鳥は飛翔する。自分を育んでくれたラスカーラとの距離がどんどん小さくなっていく。しかしそこに留まるわけにはいかなかった。なぜならその鳥は愛と共に自分の使命を知っていたからだ。最愛の人から離れ、離れ。白い鳥は飛んでいく。
目指すはライカン族の住処、全てはリウォンの願いを繋ぐため。
伝書鳥はとうとう雲の上に飛んでいく。心なしか、幸先は良さそうだった。しかし小さな命は知らなかった。その足首に巻いた1つの手紙が、ラスカーラの想いが、世界の動向を大きく左右することを。